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犬や猫を保護したことのある人は、その大変さを思い知ることになる。
最初の数匹はまだ大丈夫。自分が生涯伴侶として暮らすこともできるし、友人知人を頼り歩くとどこかに名乗りでてくれる人がいたりする。
それが、何頭も続いていくと様々な困難に直面することになる。里親先が見つからない・・・、里親先で鎖につながれたまま散歩もさせてもらえなかった・・・、ひどい場合には里親を装い実験動物にお金で売る詐欺まがいの業者に引っかかったりもする。
だから、見て見ぬふりをする人も多い。
誰もが自分の生活を犠牲にはできない。それを責めることはもちろんできない。
NPO法人アニマルメリーランドの代表である兼松廣子さんもその困難さを経験した一人だ。
自宅で数匹の犬や猫を保護していたが、個人で活動するには限界がある。が、兼松さんは見て見ぬふりをしなかった。
行きつけの病院「エルザ動物病院」に相談し、大阪の保護施設に見学調査に出かけた。同じく保護活動で行き詰る人でネットワークをつくり、カンパを募り、まさに「状況と戦った」のだ。
そして立ち上げたのがアニマルメリーランド。
姫路のセントラルパークの近くに100頭を保護できる場所を確保。去年の11月にはNPO法人格を取得した。
現在は、保護活動や譲渡会の開催、啓発普及など目が回る忙しさだ。
こうして書くと展望は明るく見える。・・・がそうではない。
日本全国で、里親が見つからずやむなく殺処分される犬の数は50万頭にものぼる。これは戦争なみの数字だ。
保護活動はきりがないのだ。
ボランティアの善意だけに頼ってできるものではない。金が必要になる。
保護活動に時間を取られていると、その捨て犬捨て猫の根本原因にクサビを打ち込むことはなかなかできない。
これは、全国の民間保護施設がかかえる共通の悩みだ。
ペットブームのお陰?で、動物との暮らしの議論が活発に行われるようになってきた。
しかし、その反面ブームに乗っかっただけの動物のテーマパークが各地に乱立し、無茶な乱繁殖の犬や、フリスビーができる犬ということでオモチャのようにボーダーコリーを売る業者も少なくない。
ある日、僕は拾った子犬の里親募集のポスターを貼っていた。
寒い雨の降る夜に、公園に置かれたダンボールの中で震えていたのだ。見ないふりをしようとしたが、それはその子犬の死を意味していた。
だから、しかたなく拾った。
その子犬の里親募集のポスターを貼っていると小型犬を自転車の籠にいれたおばあちゃんが通りがかった。
「あんたエライなぁ、あの世にエエ貯金ができるわ」
「あの世に貯金?うーん、僕は今に貯金したいんやけど、生活に支障がでるんや」
そのおばあちゃんは、買い物袋から1000円札を引っ張り出して僕の胸ポケットに押し込んだ。
「わたしは、何もようせんからこれ使い」
おばあちゃんは、そう言って去っていった。
まるで、おつかいをして誉められお小遣いをもらった子供のような気分になって、やぶれたジーンズを履いてたのかなと自分の姿を見回した。まぁ髪の毛はボサボサではあったけど、それでもこの「わたしは何もようせんから・・・」という言葉が頭に残った。
この言葉、これは人間社会の基礎なんじゃないだろうか?
僕は河を渡る橋をつくることが出来ないから、誰かに頼む。タダではない、お金を払う。僕はそのかわりにそのお金を僕ができる仕事をして稼いでいる。
このおばあちゃんは1000円で保護活動という社会に参加をしたのだ。そういうことだ。
ゴミを拾う人がいれば、手伝うことも方法だが、その人の食事を作ることも方法だ。
互いの存在を認め、その中で個であること。自分にできることで社会を構成する一員になること、これってコミュニティじゃないか。
そんなことを1000円を握りながら思った。
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