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目線

今日、ある人が、興味深いことを言った。
「最近のアイドル歌手はカメラ目線をしない子が多いけど、それって流 行なのかな?」

そういや、ナミエちゃんも、あみちゃんもあまりカメラ目線をしない。 でも、TMの西川くんや、モーニング娘はびしばしカメラ目線だよな。

で、考えた。ウチの犬はどうか。

PY3500RXは僕に視線を合わせて凝視す る。RJ8000WFもそうだ。野良犬達はまだ僕から目線をはずす。
RJ8000ASは、PY3500RXの子供で一番先にもらわれていった犬だが、ゲー ジに入れられたままだったので返してもらった出戻りなんだけど、最初 は目線をあわさなかった。
でも最近は目線を合わせることができるよう になった。

たしか猿とは目線をあわすなと、小学生の遠足で言われたような気がす る。

目線って何だろう?

そんなことを考えながら、昨日かったメガネが出来上がっているという ので出かけた。
新しいメガネを早くかけたかったので朝起きたまますぐ 出かけた。

メガネ屋の鏡をみて、後ろの髪の毛が寝癖でハネテいるのに 気がついた。 その時、気がついた。目線の屁理屈。

髪の毛が乱れているのを僕は鏡を見て初めてきがついた。 鏡というモノを媒介して自分の姿を見るまでは、自分の髪の毛でありな がらハネていることに気がつかなかったのだ。

これはあたりまえだが、面白い事実だ。

見る自分を見られる自分に置き換えて初めてその姿に気がつく。 なら、自分という内面はどうなのだろう。

鏡を前にしてもココロは写し てくれない。自分のココロを写してくれるのは、相手の目だ。自分を見 ている相手の目。 昔読んだ本か、なにかで「体が疲れたときは休めばいい、ココロが疲れ てバイタリティーが無くなったときは人とあえばいい」なんてことを読んだ。

なるほど、こういうことだ。

相手の目に映る自分を見て、自分の身だしなみを整えるごとく、ココロ の整合性を保てるのだ。 アイドル歌手でも訓練されたものは、訓練に裏づけされた自信が出る。 自信はカメラ目線につながる。カメラの向こうにいる相手に関わりたい と思うようになる。 自信が確固たるものとして確立されてない者は、鏡を見ようとはしない。 怖いからだ。
だから、相手との関係を断ち切り自分の中だけで完結し ようとする。だからカメラ目線ができない。

動物は、特に群れを生活の基盤とする猿や犬、そしてヒトも、相手の目 に映る自分の姿をもって自分を知るのだろう。

顔の見えないネットという新しいコミュニケーションには、言葉しかな い。
しかし、僕は言葉だけでその人格を決め付けようとは思わない。

し かし、常に犯罪者はそのヒトのゆるやかな部分に執りつく。 元MLの主催者と別のところでやりとりしたことがある。

実は僕はこの元 主催者があまり好きではなかった。しかし、この元主催者は、僕の知る ヒトとはまったく別人のようだった。のびのびした書き方の中に、僕の 難解な乱文の返信を一体何回読み返したんだろうという相手を理解しよ うとする姿勢に大局を見た気がした。

もちろん細かい方法論などは、僕の考えと異なるところもあるだろう。 しかしそれは話のネタとして議論していく宝だ。そんな方法論を超えて 僕はその人が好きになった。

延々とやり取りを続けていく、大きな時間 の中で言葉の裏の相手の姿が見えたからだ。 相手の目をみて知る自分。相手はまた僕の目に映る自分を見て自分を知 る。

このお互いに見つめあうことから、屁理屈を超えた関係が産まれる。 それは言葉を超えた、ケモノの関係だ。

言葉は、自分を偽ることができる。他人に成りすますこともできる。男 が女になることもできるし、年齢を偽ることも、傷ついたふりもできる。 これらの手口を利用した、詐欺やストーカー、成りすましなど実際身近 な問題だ。

たとえば、僕が僕であるとどう証明するのか?

その言葉のリスクを回避するには、相手の言葉の裏の顔を疑わず、また 信じず、悪くも良くも理解することが必要なのだ。

そして多くの会話の 中から多くの時間の中から、言葉の裏の顔が見えてくると信じたい。