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その黒犬は電車に乗った。
ちゃんと自らの足で電車に乗ったのだ。 いちおうリードはつけていた。車掌さんが来たので飼い主は大人料金を払った。自分の分と黒犬の分をだ。車掌さんは、あ、大人2枚ねと言って切符をくれた。
何か言われるかとヒヤヒヤした飼い主の顔はわずかにほころんだ。 周りの乗客もめずらしがってはいたが、眉をひそめる者もおらずどちらかというとニコニコしていた。
実はリードをしていたが、そのリードの端を飼い主じゃなく、本人の黒犬が持っていた(咥えさせて)のだ。ちょっとした技アリで難なく電車の短い旅をした黒犬と飼い主だった。
これで黒犬の行動範囲がまた少し広がった。 犬の権利とか言うけど、結構世間は肝要だ。
その黒犬行き付けの店も何件かある。あるバーでは、カウンターのイスの上にまで座る。入ってきたお客さんは一瞬とまどうが、人間と同じようにストゥールに腰をおろして、黙って座っている黒犬の後ろ姿は、その店の客と客、客と店の会話の橋渡しになっていく。
黒犬は、我関せずと座っているが、店には一体感が生まれ、その場の者全員が黒犬の友達といった仲間意識が生まれるようだ。
ヒトは、犬と同じく群れをつくる動物だ。
ヒトの群れである社会なくしてヒトは人でありえることはできない。
ヒトの中にいるからこそ、文化や言葉や経済や思想が存在しえるのだ。ヒトとヒトをつなぐものは、規則でも宗教でも法律でもない。ましてや町内会やなんとか団体や、国家でもない。
それは、いたってシンプルな血のぬくもり…体温なのだ。
犬と一緒に寝たことのある人ならわかるだろうが、犬と体を密着させて寝ると非常に心がリラックスするのがわかる。以前、メデテーションタンクという人工羊水の中に浸ったことがあるが、その時の感じとよく似ている。
これは、ヒトが昔、外敵から身を守るために体を寄せ合って寝ていた原始の記憶による作用だと言えるが、しかしヒトと体を寄せ合って寝るとさらにリラックスできるかというとそうではない。
アメリカのある大学が能波計を使って実験したところによると、犬と寝るほうがリラクゼーション効果は高いそうだ。なぜか?ヒトは文明の中で原始の記憶を忘れたのか?本能を進化の過程で捨て去ったのか?そうではない。
ヒトは人と寝ると緊張するのだ。
眠りという自分をさらけ出す行為によって、自らが隠している部分を見られるのではないか…そしてその結果、ヒトの群れに加われなくなるのではないか…と恐れるのである。
だから、身構える。 犬であれば、身構える必要はない。 つまり、これが今のヒトの社会である。社会的常識は暗記である。
その暗記なき者は、異端になる。群れからはぐれたヒトであらざるものになるのだ。 だから、誰もが異端を隠そうとする。
暗記された常識的意見を述べ、常識的行動をとるのだ。心から沸き上がるものは、自らパンドラの箱に閉じ込め鍵をかける。
訓練もしつけもされていないその黒犬は、自らヒトの社会のしくみを学習し、ヒトとの付き合い方を開発してきた。しかし、犬はあくまで犬であって二本足で歩いたり、おしゃべりしたりはできない。ヒトにはなれないのだ。
異端であるその黒犬のと心はプライドへと昇華されていくようだ。 だからヒトはその黒犬に惹かれる。その黒犬は、ヒトにとって唯一、常識という暗記を忘れて、個と個、異端と異端としてつきあっていける安心な存在だからだ。
今日も自らのリードを咥えて歩く黒犬に、道行くヒトが声をかける。しかし、ただひたすら目的地へ急ぐ犬の耳には車の雑音にしか聞こえないのである。
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